左の二枚
公式図面と
公式ガイドですら
こんなに違う。
キャビンの数が
違いますね。
参考と引用
万国博グラフ
千里への道
ボーイズライフ
建設予定地
当初エキスポタワーは他の施設よりも先に完成し要人等の
視察の際の展望台としても大いに機能するはずだった。
三菱のタワー建設が幻となったためエキスポタワーにも
当然しわ寄せがきた。
丹下建三プロデューサーの元 菊竹清訓氏がタワー担当に
なったのは昭和42年暮れのことだった。
昭和43年3月6日丹下プロデューサーは4本の柱を基調とする
タワーの設計を発表した。
協会の予算は7億5000万円。
建設会社16社の見積もりは14億2000万円だった。
そこにはタワーと同じ高さの足場が必要だという意見と
他の工法の可能性の食い違いもありなかなか前進しなかった。
ここで石坂会長が乗り出した。
芦原副会長の関西電力のバックも切り札となった
ふたりはその政治力を遺憾なく発揮した。
当初川崎重工しかできないと言われた特殊加工さえ
他の業者ができることがわかり計画はかなり実現に近づいた。
お祭り広場の大屋根同様すさまじい設計変更が繰り返された
まず4本の柱が三本になりキャビンの数も減らした。
当時の雑誌をみると様々に変更されている図が見て取れる。
そして
タワーは開幕を一カ月後に控えた昭和45年2月の中旬
1年半遅れで完成した
万国博が終わり20年間 エキスポタワーは営業を続けたが
老朽化が目立ち現在は立ち入ることができなくなった
一説によると壊すのに約10億円 復元工事に
約20億必要だそうだ。
沖縄海洋博のアクアポリスのような最後は見たくない。
赤と白に塗られたエキスポタワーが
,再び銀色に戻り輝く日がきてほしいものだ。
第2章 悲運エキスポタワー
4本柱だと
ヘッドヘビーで
倒れそうですね。
エキスポタワーの
名称は一般公募
だったんですね。
賞金10万円と
記念メダルセットが
もらえたんですって。